かつて福沢諭吉大先生は、「学問のすすめ」で一世を風靡した。
私は、「肉体労働のすすめ」を書きたいと思う。20歳まで、勉強一辺倒だったが、幼児教育を学び、現場で働くことになって、子どもと日々過ごすのに、体力がとても必要だった。幼稚園教諭は、毎日その日の「日案」を書き提出。朝7:30に園に出社して、職員の朝礼。保育の準備をして8:30には30人の担当クラスの幼児たちが登園。一人一人の顔を見て、今日も元気そうか視診する。9:00~2:00まで、園庭遊びや制作、音楽(歌を歌う)などの保育。11:30~12:30は給食。2:00には一人一人を確認しながら、降園させる。全て終わるのには3:00くらいになる。
それから、掃除や今日の保育の整理。次の日の製作などの準備をする。運動会や保護者の来る行事などの手配もする。これで、17:00に帰れたらいいが、新人で要領の分からない私は、いつも19:00くらいになった。電車で帰宅すると、次の日の日案を製作しないといけなかった。
他に期せずして働くことになったCaféでは、コーヒーの淹れ方、レモンスカッシュ・ココアなどの飲み物の作り方、軽食の作り方を学んだ。また、ホールでのウェイトレスとして、オーダーを間違いなく取る事、食べ物をキチンと運ぶこと、お客様に伝えたい事があればきっちりと伝える事、苦情の処理なども学んで行った。
現在は、園芸班として、花や野菜の苗を作ることを学んでいるし、体を使って働くことの醍醐味を味わっている。
特に園芸は野外で、ポットの土入れをしたり、苗床をみんなでバケツリレーで運んだり、集中しながら、100単位の苗を定植する等、単純作業だが頭と身体を使って頑張っている。夏には汗ぐっしょりになる職場だ。
私は、こういう経験を通して、自分が暗に「ブルーカラー」と呼ばれる職業を軽視していたことに気づいた。また、そういう気持ちは本当に恥ずべきものだったと反省している。
そもそも「仕事」とは自分の肉体を使って労働し、その「体を使った労力・疲労・汗」に対して、対価がもらえると考えた方が、いいと思う。「お金が欲しいなら、汗をかけ。」である。
園芸の仕事に就いて、2年か3年くらいだが、仕事が終わると体が疲れてよく眠れるし、朝はシャッキリ5:30頃に目が覚める。
私は学問ばかりはすすめない。自分の体を使って、自分自身を養っていく感覚がすごくメンタルにいいと感じている。また、体を使う事に長けている人「体が強い人」「よく働く人」「気働きの出来る人」「色々な人の中で、上手くやって行ける人」というのは、学問が出来るよりも重宝される。
そういう価値観をもっと大事にするべきだと思う。
仕事をして行く為にも、体をきちんと鍛えることが大事だ。それは筋トレに力を入れる…と言うような事では無く、どのような職業でも、肉体が健康でしっかり働けることは大前提であるということである。
「肉体労働のすすめ」についで、「商売のすすめ」というのも思っている。
学歴や職場などで、「安定」「保障」が無くなって行っている現在。本業にしなくとも、何か自分でお金を作る方法を持っておくことが大事だ。例えば私は、手芸が好きなので、テディベアや編みぐるみを売りに出せるレベルまで持っていきたいなとか、マッサージの勉強をしたのでそれで日銭が稼げるかもしれない。また、保育や幼稚園教諭の免許も本当に困ったら使えるかもしれない。
そう言う意味で、何か「とりあえず、これで稼げるという技術や経験」を持っておくと、自分の自信になる。