昨日の夕方のニュースおかえりで、「小学校・中学校の不登校の生徒がこの10年20年で増大しており、特にコロナ下で急増している。」との統計が出ていた。
私は高校を中退しているが、教育を重んじる者として、小学校から「学校に行くことが出来ない。」と苦しむ子供が沢山いて、それに右往左往する親御さんがいることに、本当に「この国も末期だな。」と思う。
私の高校中退の状態と、小学校から行けない子どもの心理を全て一緒にすることは危険だし、本来、元気いっぱいで遊びたい盛りの子どもになにがあったのか?と思う。
また、不登校の理由の最も多い理由が、「無気力・不安」であるという。
つまり、何らかの理由で、小学校時分の子どもに、「無気力」を感じさせる世の中だという事だ。
昨日の報道では、奈良のフリースクールが取り上げられていた。施設長の女性は、助成金も出ない中懸命に働かれていた。水道整備をするために、300万円のクラウドファンディングをされてた。
子どもたちは、「ここは自由」と楽しそうに話し、周りの大人たちの関りで、確実に居場所をみつけているようだった。つまり、そもそも不登校しているだけで、何も異常は無いし、そもそも学校に行けなくなる子どもがこれだけ増えているという事は、池の水が濁っていて逃げてくるしかなかった…「学校に行くのが苦痛。学校で自分を殺されてしまう。」と感じている子どもが多くいるのでは?という事を思う。(少なくとも、自分は高校時そうだった。)
そのフリースクールでは、ゲームを持ち寄って興じている男児たちもいた。彼らには頃合いを見計らって、「ゲームもそろそろここでは止めない?」と話し、他のアナログな遊びに誘導する方が適当だとは思う。そもそも、ゲームに興じている姿を見ていると、子どもたちは現実逃避しているように見える。
ゲームって頭も体力も全然使わないで、快感を得られそうだ。(中には、ものすごく頭を使う…と主張する人もいる。)
フリースクールで居場所を見つけた後は、自分自身で自分の人生を切り拓いて行けるように、最低限の勉強をするべきだし、本を読むことや、体を動かすことも大事だ。家の手伝いなどもして、家族と共に乗り越えるべきだとも思う。
そう言う意味では、「(学校と違って)ここは自由だからいい。」という考え方には、疑問がある。
黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」に紹介されている、トモエ学園には、学校に適応できなかったり、小児麻痺などの障がいを持った方々が登園していた。その頃にそういう先進的・福祉的な学校に、助成金が出ていたかは分からない。
「窓際のトットちゃん」の中で、徹子さんのクラスメイトに、絵を描くのが好きな子がいて、トモエ学園の学園長は、毎日毎日、好きなだけ絵を描かせていた…と書かれていた。
人間教育ってそういうものなのだと言う例である。
これは、個人的な見解だが、今回ロシアがウクライナに侵攻し、世界が大変な事になっている。また、当たり前のように、日常的に北朝鮮からミサイルが飛んでくる。
学校はそういう事を、キッチリと論じて共に考えているのだろうか?と思う。周りでこんな有事になっているのに、日本の高校生や大学生は、どういう風に捉えているのだろうと思う。
(捉えても自分にはどうしようもない、悲観的な事しか出てこない…ということなのか?)
そういう意味で、不登校の子どもたちが、元気に過ごせる場所があることが本当に大事だと思う。
P・S 右の編みぐるみは、てんとう虫。「父の日」のプレゼントである。