地球と共存するために―これから、求められる人間像とは―

 「地球と共存」とは、おこがましい言葉だとは思うが、これからの人類がなんとか滅亡せずに残っていく為には、もう、地球の声・自然の声をちゃんと聞いて行く…これが、第一のすべきことだと思う。

 私は、ずっと、「本当のエリートとはなんだろう?」「自分はどの方向に生きて行くべきなのか?」と言うような、ある意味哲学的な問いに苦しみ続けていた。自身が、高校入学までは、トップクラスの高校に行くべく、無意識に苦しみながら勉強を続けた経験。そして、高校を中退した経験。アメリカで、「日本の小さい高校だとか大学だとかそんなことで、苦しんでいたけど、凄く小さかったな…。」と思った経験。また、アメリカの日本人の寮で、「アメリカの高学歴」の「自分達をエリートだと意識しているであろう方々」から、いじめに近い扱いを受けた経験。その後、日本の女子短大で、懸命に人生・生活を送る友達と学んだ経験…などなどから、ある程度の、「これか求めらる、人間像」というものを、今日は、表現できるかなと思う。

 それで、その答えだけど
・地球や自然の恵みを感じることが出来、そのサイクルの中に生きることが出来る。
・人間として生まれて、生活すること。家族の中で成長し、仕事をしたり結婚をすること、子どもを産んで育てる
 事。そういう当たり前のことが大事だと感じることが出来る。
・人生の困難を、受け入れて、克服していく力を持つこと。
・自分自身を愛することができ、他者の事を慮る事が出来ること。

こういう人間像です。

当たり前だけど、こういう単純な事が幸せだと、私は気づいていませんでした。
高学歴を望んで勉強したけど、キャパオーバーになり、バーンアウト。とうとう精神疾患にまでなり、本当に辛い時期を過ごしました。
まあ、私の経験で言うと、「仕事を得る。結婚する。子どもを持つ。」という事も、当たり前の事では無いし、なかなか得られないものではあります。
 でも、上記のモノを一つの「人間像モデル」にしたら、人間一人一人としては無理が無いように思うのです。別に「日本一」になる必要も「世界一」になる必要も無いです。ただ、「自然の中の人間としての幸福」を受けいれたらいいと思います。

「不妊治療」がこれからどんどんと進んで行くでしょう。出生前検査も、当たり前に行われる時代なのではと思います。そう言った時代に、「命とはなんなのか?」と言う答えを考える時があると思います。

 科学が進み、文明が進み…でも、本当の人間の幸福とは、太古の昔から変わってないような気もします。
頭でっかちになりすぎた人類は一度、全て思考をストップし、「そもそも、どうなりたいのか?」考えてもいいと思います。

 もしも、人類が滅亡しても、地球や自然は別段に困らないんです。核戦争の汚染を何万年もかかったら浄化できる。人間以外にも動物はいる。地球に多少の穴が空いても、それでも、宇宙には大したことは無い。
それよりも、種を播けば芽が出てくるし、野菜を食べることが出来、花は咲いてくれる。1年は四季があり、それぞれの美しさを見せてくれる。夜には月がかかり星が瞬く。朝が来たら太陽が日光を届けてくれる。そんな、地球の奇跡を日々感じていけることが、本当に人生を楽しむ感性だと思います。
 
 「人よりも秀でたい」「エリートになる」「他国が言う事を聞かないから、闘いたい」「自国の為なら核爆弾を落として、沢山の人を殺戮したい」…こういう精神で生きていたら、人類は本当に自然に淘汰されるのではないでしょうか?