日本の戦争責任。第二次世界大戦の反省。

昭和史 1926-1945  半藤一利

 亡くなられた、現代日本について沢山の著書があられるという、「半藤一利さん」という著者を知りまして、この「現代日本」の抱える問題を、一日本国民として知っておきたくあったので、読んでいます。
 「ノモンハンの夏」「日本の一番長い日」「歴史と戦争」という3冊を読み、今回、「昭和史 1926-1945」という少々、長い、文庫本を読みました。これは、まだ、「上」で戦後編の、「1945-1989」までの後半もありますので、まあ、読んでいきたいなと思っています。
 申し訳が無いけれど、「半藤さん」のお名前も、今回「追悼の特集」で初めて知った次第で、自分が「見て見ぬふり」をしてきた、「戦争責任問題」について、とりあえず、知ることから始めようと思いました。

 まあ、結局、日本はこの大戦で、ヒトラーの「西のドイツ・東の日本」という世界を作ろう…という「悪魔の囁き」に乗って、最終的に、ポツダム宣言で、「世界征服の挙に出た権力及び勢力の除去」を第一条件に掲げられて、降伏しました。
 そうなんですね…「世界征服」をもくろんでいたと言われていて、実はそういう、「神国日本が世界全体を支配する」みたいな「八紘一宇」の理想を掲げている、軍人や庶民がいたようなんですね。ドラゴンボールの魔人ブーじゃないんだから、本当に迷惑です。
 迷惑というのは、闘った、アメリカとかソ連・中国の人々もですが、ベトナム・マレーシア・フィリピン・ビルマ(現ミャンマー)など、その時にまだ、「後進国」とも言われ、平たく言うと「土民」とも言われていた人々が住む、領地を、「戦争に天然ガス・石油・ゴム・ニッケル」…などの天然資源がいるから…という理由で「侵略戦争」をけしかけて、次々と手に入れていったんです。でも、そこに住む人々も、日本兵によって沢山殺されましたし、兵隊さん達も、食べるものも水も無く、ジャングルの中で死にました。
 日本の死者は約310万人を超えると言います。
 ダガルカナル島・アッツ島・ニューギニア・タラワ島・マキン島・ケゼリン島・グアム島・サイパン島・ペリリュー島・硫黄島・沖縄。もう、この戦争は「負ける」とみんな分かっていながら、後半は「ほぼ、玉砕」全滅なんです。一応、一つだけ書いておくと、「ガダルカナル島」での戦死8200人。餓死、または病死1万1千人。といった具合です。
 そして、「特攻作戦」によって、命を散らしていった人たち ー戦争末期「志願によって」という名目で、ただし半分以上は命令によって「十死零生」の作戦に参加した人たちー は海軍2632人。陸軍1083人。合計4615人。
 「十死零生」って…。「100%死んで来い!」という作戦ですよね。これって、「作戦」なのか。本当に、頭がおかしいのかな…と思います。(まあ、「かな?」ではなく間違いなくおかしい)
 「歴史に学べ」とうことで、「こんなあほな戦争をしないために」半藤さんは「昭和史20年」からの教訓としてご自身なりの答えを書いて下さっています。
➀国民的熱狂を作ってはいけない。その、国民的熱狂に流されてしまってはいけない。時の勢いに駆り立てられてはいけない。
②日本人は、最大の危機において、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な理性的な方法論を全く検討しようとしない。
③日本型のたこつぼ社会における小集団主義の弊害。(陸軍大学校優等卒の小集団エリートの支配)

 人というのは、「集団」になると本当によく分からない力学が働き、雪崩を打つように流れていくことがあります。特に、「自分の意見を持つことが、あまり受け入れられない日本」では「村意識」が強く、自分たちと違う気持ちでいる人、外から来た人…を「村八分」にすることが、そこまで「悪いことと」と認識されません。日本が手を組んだ、アドルフ・ヒトラーが「ユダヤ人虐殺」の政策を出したときに、正面切って反対できる人がいたのでしょうか?そのことは、私はあまり知りませんが、「アウシュビッツ」の責任者だった、アイヒマンは戦後、「どうして大量虐殺をしたのか?」と問われ「言われたとおりにしただけです。」と回答しています。つまり、誰も、責任を感じなくなって、人が死んでいくんですよね。

 肝心なのは、「権力に屈しない、強靭な精神の持ち主」を作る…とかそういうことでなく、「人というのは、まかり間違えば、どんな人でも大量に人を虐殺することが出来る。日本人も、集団の力学でそういうことをしてきた。」という反省の元、「やるかやらないか?」「死ぬか生きるか?」みたいな、状況を作らないように、政治・経済などを行う事です。「誰かを殺さないと、お前を殺す」と言われて、「じゃあ、殺してください」と言える人は少ないと思います。自分の生きるため、自分の家族や恋人の為には、人を殺すことだってある…それが人間なんでしょう。

 とにかく、もう絶対に「侵略戦争」「戦争」をしてはいけないです。「政治」に何を望むか?それは、「戦争」を恒久的にしない、日本・世界を作って下さいということ。半藤さんには、「抽象的な観念論」と言われるかもしれないけれど、「争い、憎しみ」があるからと言って、武力を持っていればいい…というのは、余りにもナンセンスです。そうじゃない方法を考えるのが、偉い人たちの仕事だと思います。
 アメリカやミャンマーをみると分かります。武力では解決しない。
 そういう意味で、日本の政治家さん達には、「何のための、政治家なのか?」ということを、自らに鉄槌を打って欲しいと思います。
 第二次世界大戦が、1945年8月15日に終戦し、何名かの軍人が、「自決」をしました。また、天皇は「ポツダム宣言」受諾の時に、大臣たちの嘆願で「天皇制」だけは固持して欲しい、「昭和天皇」を殺さないで欲しい…と「ポツダム宣言加盟国」に伝えましたので、「日本人はそんなに天皇が好きなのか。」と返って、感激したアメリカ人もいるとかで、「極刑」は免れました。(この話は、賛否両論あるかもしれませんが、天皇陛下は、最初から最後まで「戦争」に反対で、自信は大変な「親英家」でもありました。)

 また、東条英機さんに関しては、「八紘一宇」と言うらしいですが、「八方➡天下・全世界」「一宇➡同じ屋根の下」という、なんか、それを理由に「人殺しするのは変だよね。」と思いますが、そういう、「理想」を持っていたようです。
 「開戦」するとなると、当然、日本の重鎮たちにより「重臣会議(過去の内閣総理大臣をすべて集めた会議)」をするのですが、こういう会話がなされたようです
若槻礼次郎(元首相)「自損自衛ならともかく、戦争目的にある八紘一宇といった理想に目をくらましてはならぬ。」
東条英機「理想を追うて現実を離れる事はしない。が、理想を持つことは必要だ。」
若槻  「理想の為に国を滅ぼしてはならない。」

東条英機さんは、1941年にアメリカとの「太平洋戦争」に踏み切り、戦争末期に総辞職した首相です。その時の戦争の「最高責任者」でした。
 後にGHQの尋問にも、一貫して「天皇は一言も『戦争をしろ』とは言っていない。」と発言し、A級戦犯として巣鴨の処刑場で処刑されました。
 なるほどなー、と思いますが、「第二次世界大戦」の最中にも、時の内閣はどんどん変わって行っているんですよね。だから、「政治家」達は、外国で戦死している人がいる事よりも、命令だけ出して、自分の周りの「政権」の維持や・争いに汲汲としている…と言った面もあった訳です。

 こんなに大変な事が、76年前にあった「日本」だということを、若い人たちはあまりに知らされていないのではないでしょうか?それは、まだ、あまりにもこの「戦争」が生々しいからでしょうか。戦後、「自決」をしたり、A級戦犯として亡くなった人がいる一方、「ノモンハン事件」などの張本人である人などは、自分の「思い込みの命令」で沢山の部下が戦死し、国際的にも条約違反のことをしていたのに、おとがめなしで、反省することなく、「自叙伝」等を出して、衆議院議員になって、「東京の軍部が弱気な命令をしたからだ」と臆面もなく話していたような、軍人もいるようです。そういう、意味では、東条英機さんは、まだ何となく「人間」として心に残ります。
 自分の命令で「国際的にも異常な事件」を起こしているのに、何も感じない人…というのは、「人間」なのかどうなのか分からないです。
 この本は、3か月前くらいから、ちびりちびりと読んでいて、今朝読み終えたので、新鮮な「感想文」が書けました。日本を戦争へ戦争へ、駆り立てたのは何であるのか…色々と考える、基本に触れることが出来ました。