先月、頭くらいから、何とか読み進んでいた「昭和史ー戦後篇ー」ですが、非常に興味深く読みました。東京裁判の後からは、人がドンドン殺されていく…という状態から脱っしましたので、政治の流れ世の中のトピックなどで、少し落ち着いて読めました。
まあ、でも、どうやら、マッカーサー元帥と天皇陛下の会談が11回あり、かなり重大な事を決めています。「戦争放棄・非軍事」という「理想」を掲げる事も、その中から出てきた発想の様です。(これは、諸説あります。)しかし、その時は、第二次大戦が終わって、まだ時も浅いですし、中国の共産党・ソ連のマルキシズム…など「戦争放棄」というのは、かなり「危ない」「危険な事」だったと思います。でも、結果それがいい方向に行って、戦後「国家敗亡」という憂き目にあった日本は実際には戦争(国家の目的の為に人を殺す行為)はしないで済みました。
私は知りませんでしたが、そんな中でも「鳩山内閣・岸内閣」などで、「憲法改正・再軍備・安保条約の見直し」など、今も続いている議論をずっとしていて、その動きは、本当に国民によって守られています。
それぞれの時の内閣の揺さぶりに、世論がYESと言わなかったんですね。
このことは、本当に大事なことです。例え、アメリカが「軍備を持て」と言ってきても、政治家がその方向に流れても、「国家の行く末を作るのは国民」ですし、「政治にNO」と言える、権限があるのです。政治家の方々は、その時の、政権の時流に乗って、言いたいだけ言っているだけに見えたりします。でも、「日本が日本であらしめるため」に、「国際的にどのような立場を取って行くか。」これは、「憲法はもう時代に合わない。」「戦争のできる国にしよう」という短絡的な事ではない。
事実、アメリカの再軍備要請をはねつけて「吉田茂さん」などは、「経済復興」を取りました。このことは本当に大きかったと思う。日本人は「金第一主義だ。戦争にも金しか出さない。」みたいに、言われたりしますが、他国が勝手に戦争をして、そこに勝手にアメリカが介入しているのだから、「憲法のもと、お金しかだせません作戦」もありだと思います。
「武器を持たない戦い」をしているのです。戦後76年ですが、「軍備」の問題はずっと言われてつづけています。今回の内閣でも、自民党と日本維新の会が連立を組み、松井市長が「改憲を考える」と言っています。大体「日本を維新する会」が「与党の自民党」と手を組むとは、どこが維新なのか分からないですが。
この話は、「焼土」と化した日本を救って、国体を維持した、大変名誉ある「憲法」の話しであり、「実際の安心を取るか(攻められたら攻め返すことができる。)、大いなる地球存亡の理想を取るか?」という大きな話なんです。だから、大局的に見られる人がいないと、とても危険です。目先のことに必死になって、小さい軍隊を持っていても、どこかの国(インドか中国かロシアか…はたまたアメリカが手の平を返すか)にまた、原爆を落とされたら、今度は、広島の30倍もの威力を持った爆弾を所持している国があるのです。
「北朝鮮」の攻撃だけを、問題視するのなら、余りにも「平和の均衡」という問題で、「改憲で失うものが大きすぎる」。「北朝鮮」には「アメリカ・中国・ソ連」…も当然マークしています。「日米安全保障条約」が嫌だと言う人もいるにはいるでしょうが(本当の独立ではない)、現実的に見て、そちらに任せて友好関係を築いた方がいいと思います。
昔から、国を守るために、小国が大国に守ってもらい、違う形で(輸入・輸出など)貢献して、友好関係を作る…という方法は取られていました。日本は江戸時代は鎖国していましたが、中国に後ろ盾になってもらった時も長いと思います。
「朝鮮戦争・ベトナム戦争・イスラエルの戦争」を経て、「平和主義に乗っ取った、日本」をどうしていくのか?どうすべきか?1969年頃「学生紛争」等もありましたが、若者が語って行くのが大事です。しかし、私が水を向けた、30代前後の若者の中でも「世界の国々が軍隊を持っている。日本も自衛隊を持っている。それを、軍隊を持つということにすればいいじゃん。」と簡単に言う人もいます。また、「日本が世界の中で、『普通の国』と呼ばれるようになるには、軍隊を持たなければならない。」と言うような、ロートルもいます。松井さんもロートルですね。
今回、半藤一利さんの「昭和史」「昭和史戦後篇」を読んで、目から鱗のことも多かったです。そしてまた、敗戦後GHQからの要請で、「歴史・地理・修身、を教えてはならない。」ということがあり、このことは、日本の発祥の歴史や、それを生んだ地理も教えることは出来なくなったことと、「修身」というのは、「親孝行しなさい、友人と仲良くしなさい、一生懸命勉強しなさい」などの道徳教育、「祖先を敬いなさい、年上の人を大切にしなさい、礼儀正しくしなさい」という徳目を名目上、無くすことになりました。
古臭いようにも感じてしまいますが、一回りして、やっぱり大事な事だなと思います。
我々、日本を新しく作る世代に、学校は何も教えていない。ただただ、受験エリートを生み出し、問題に迎合すること、問題を問題と感じない人を作っている。
ちゃんと、半藤さんのような歴史家が本当のことを書かれている。そこから、出る「意見」は様々でいいでしょうが、本来の日本はそこまで争いを好む民族では無いのではないでしょうか。「友人と仲良くし、礼儀正しくする」そういうことを考えると、「新しい戦術」として「日本は戦争放棄し、軍備を持たない」ことを大事にして、「憲法改正の必要もない」と考えます。
そして、半藤さんも嘆いておられるのですが、「ああ、なんとも情けない国を作ってしまったものよ。」と言っておられます。私も同感です。なんだか、「ぐらぐら、ぐちゅぐちゅ」何しているのか分からない人が多いです。文化も、もう「エロ」の方にしか、興味が無い。平和を享受して、幸せなのかとおもいきや、一昨日は「保育園に侵入し、園児を殺して、自分も死刑になりたかった」という事件が起こり、1Wくらい前には「失業して死刑になりたかった男が、列車内で刃物を振り回し、火をつける」という事件がありました。私の家の近隣では、引きこもりの男性が、祖父母と1名を殺害し2名に傷を負わせ、「お告げを聞いた」と神社に佇んでいるのを連行された事件がありましたが、裁判の結果「心身喪失状態であり無罪」となりました。
「生きている意味が分からない」と学校に行けない(行かない?)子どもが出現し、かたや、東大生という人々が軽いノリでテレビのクイズ番組に出て「偉い。賢い。」と言われている。本当にこれでいいのか…と目を疑いたくなります。「高学歴ニート」と呼ばれる、人々も輩出している。
これが、今の日本だと私には映ります。世界は自分の思い通りにはならないです。でも、「憲法九条」という大事な問題を考え、議論する時に、その人間自体が「腑抜けにされている」。議論する、「歴史、材料」を「持たない、与えられていない」というのは本当に憂慮されるべき事態です。
半藤さんは「憲法はこのままでいいと思う」と書かれていましたが、「この問題は、次の世代に任せたい」とありました。歴史は続きます。私達が私達の、良心・人間性・理想を語っても、馬鹿にされないようになりたい。その為に、勉強することが大事だと思います。
色々と情報の洪水のような昨今ですが、自分自身の率直な「願い」を持つことが、大事だと思いました。
(その上に「新しい文化の創造」という大きな命題を掲げた人がいたことも今日思い出しました。😉)