「悟り」とはどうような境地なのでしょうか。この、大正時代に書かれた、「提婆達多(でいばだった)という作品を読んで、「悟りの境地」に立っている、ブッダと比べて、提婆達多が人間臭くて、欲と恨みにもだえ苦しむ人生に、何となく、「親近感」を持ってしまう。 ブッダの教えは深いけれど、生きている間は「体や心」が単純に喜ぶことをすることは、無視してはいけない気もする。