6月から、「罪と罰」の後に、「カラマーゾフの兄弟」を読み進めている。亀山郁夫の新訳の方で、全5巻。最後の⑤はエピローグになるようだ。
で、現在④まで読み進めた。➀②は哲学的・宗教的な内容が盛りだくさんで、あまりそういうことに素地が無いので、読むだけで分かるような分からないような大変な感じだったが、内容が「大切な事」であることは分かるので、苦心をしながら読んだ。
私の理解を計る為にも、読んでいない人に魅力が伝わる程度に、ざっくりと「あらまし」を書きたい。
ヒョードル・カラマーゾフは、好色でお金に執着し、二人の妻の間に3人の息子がいるも、妻が亡くなると子どもを放置するような男である。
長男 ドミートリ― (誇り高く、軍人だったこともある。女性が好きで放蕩好きであるがその事を恥じてもいるようでもある。)
次男 イワン (父親に放り出されても、勉学・学問で身を立てている。キリスト教に対して、神に対して、独自の見解を持って生きている。)
三男 アリョーシャ (物語の主人公。僧院に入っていたが、長老ゾシマ神父が亡くなる前に、俗世間に出て、社会の中でキリストの教えを信じて生きて行くよう言われ、僧院を後にする。)
カテリーナ (誇り高い淑女として描かれる。ドミートリ―の婚約者。だが…。)
グルーシェニカ (男性を翻弄させる、売春婦として描かれるが、ドミートリ―・父親のヒョードルは彼女に魅せられて、対立が深まる。)
③巻で、とうとう、何者かに、ヒョードル・カラマーゾフは殺害される。対立していた、ドミートリ―に「親殺し」の嫌疑がかかる。
…という所で、話は今終わっています。
まあ、「ヒョードル」を殺したのは誰か?というサスペンスも面白くて、ドストエフスキーの何言うか…、洒落?
「宗教も・哲学も・親子の問題も・推理小説だってかけまっせ。」的な所が、なんか凄いです。
でも、本題はそういう所にはないんでしょう。長男 ドミートリ―は、私の中ですごく、男前で女性にもてて、派手に遊んでいるけれども、どこか満たされない所がある人…という感じのイメージで、まあ、女性が放っておかない感じの方。
イワンは、好きですよ。言ってることは、なんだか、ややこしくて、知識も凄くて。でも、「神を信じないんだ!」てことかな…と。カテリーナと結ばれて欲しいですけどね…どうなることやら。
こういう、「神はいるのかいないのか?」って話は、もう、ずっとキリスト教圏の話しには出てきますよね。「レ・ミゼラブル」とかね。
私は仏教を聴いているけれど、「ブッダ・釈迦」は「いました」よね。「いるかいないか?」だけ言うと。でも、「キリスト」は「いるかいないか?」というと、「歴史上いたとしても」、「キリストが神か?」って言うと、どうなんでしょうね。キリストがそう言っているだけかもね。
…とこんなことを書いたら、クリスチャンだったおばあちゃんが出てきて怒るのでこれくらいにします。(生前も不信心なセリフを吐いて、一度だけ怒られたことがある。)
で、まあ、アリョーシャがやっぱり安心する。こういう人がいたら、本当に嬉しいです。現在④の頭の方ですが、子ども達に対する姿勢がとても素晴らしいです。早熟で疑り深く、自分を社会主義者だと言う14歳のコーチャとのやり取りが見事ですね。一言一言にハッとさせられるし、読者は、「神」を「信じている人」「信じていない人」「そもそも興味がない人」「考えていない人」等‥…色々と居ると思う。だから、それぞれにどの人物に共感するかは違うと思います。
私は個人的にはグルーシェニカを演じてみたいけど、こんな役演じれたら、実際の世界でちゃんとやってるわ。(笑)
④でどうやら、最終章に向かうようなので、あまり飛ばし過ぎずに読んでいきます。😀