1980年 小室直樹氏 デビュー作 

「ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく」

小室直樹氏の本。実質、3作目。1980年のデビュー作である。色々と書くことを考えてはいたが、内容を要約するのは止めて、端的に「小室直樹氏が私達、日本人に言いたい事」はここではないか?と言う部分をあげたい。(実質、この本に予言されているように、1990年にソビエト連邦は崩壊した。ここでは、その後への事を書く)

・戦争とは何か―戦争こそ、もっとも合理的な国際問題の解決法ー
 戦争と言うのは、道義的に糾弾すればなくなる、というほど単純なものではない。

 残念ながら現状では、(国際紛争の解決手段として)戦争以上に効果的なものは無い。したがって、戦争を根絶しようと思うならば、国際紛争解決手段として戦争よりも効果的であり、戦争よりも合理的なメカニズムを考える以外にない。

・実際、国際紛争解決の手段でない戦争は無いし、その戦争を放棄するといって無くなるようなものではないからだ。

・日本が「中立」でありたいなら、「武装中立」しかない。(スイスやフィンランド)。「非武装中立」ということはない。
しかし➡日本が軍事大国になる為には、一言で言うと「かく」を持つことに尽きる。
しかし➡日米安保条約がある以上、アメリカが日本が軍事的に強くなりすぎる事に黙っていないだろう。

こんな感じに読みました。なるほど。そうなんです。日本の領土に、アメリカ軍基地があることを当然のように受け入れていましたが、日本人の中には、「アメリカ軍に出て行ってもらって、日本を『中立国』にし、独自の軍隊を持ちたい。」と考えている人が…本当にいるのかどうか。そんな事を、今更願って、何をどうしたいのか?と考えてしまう。そうなると、日本は「北朝鮮」のようになって、本当に「かく軍備」を持ちたいと、願うかもしれません。

 でも、今や世界は、アメリカとソ連の冷戦を経て、ソビエト連邦は崩壊。アメリカが世界の警察のようになっていましたが、アメリカ国粋主義的なトランプ大統領が現れたりし、アメリカの持つ「貧困」「社会的格差」などの問題が浮き彫りにされています。また、今回、ロシアはウクライナに侵攻。その行動は、世界で非難を浴びるも、戦争は終わらないです。

メカニズムね…。小室氏は、「平和・平和とお題目のように唱えていても、いつか戦争は起きる。日本人よ目を覚ませ!」と言っているようです。「戦争に負けるのが嫌なら、かく兵器を持つことも考えよ!」と。その論法は分かるのですが、そういう論理で行くと、最終的に、どの国も核兵器を持って、「国際紛争」が起きれば「戦争すればいい」…「かくを落とせばいいい。」…「本当にいいのか?」と言う、話になって行き、堂々巡りです。
国際連盟・国際連合は「理想主義からできた意味のない団体だ。」などと、結構バッサリ言われてますね。今回のウクライナのゼレンスキー大統領も、「国連の力のなさ」を糾弾しています。でも、ないよりはあった方がいいと思いますが。

 毎日、戦争の事が報道されて、自宅や学校、原子力発電所が破壊されたり、「残った家族が殺された。」と泣いているウクライナの人々の報道があり、「人間と言うのは本当に恐ろしいな。」と思います。
 この本を読んでいると、ロシア(ソ連)は、歴史的に共産主義(マルクス主義)を推し進め、全世界をロシア(ソ連)中心に、「共産主義国」にしていくことを使命としており、「その事の為に、ロシアも国民もある」ような、そんな宗教に近い使命感を持っているとか。また、「共産主義」を否定していくことは、
「自分達を否定する」ことになる…とも書かれています。そういう風なアプローチで行くと、プーチン氏も、ソビエト連邦のクマたちの、生き残りなのかもしれません。頭の中が、100年くらい古い感じ。社会運動家や反政府の方々を、連行したり裁判にもキチンと書けないで殺したりしている所を見ると、もっと前時代的なクマなのかもと思います。

 だから、もっと怖いのは、プーチンだけでなく周囲のロシア人もそんな感覚なのか?これからも、ずっとこんなことをやり続けて、端からは「人を殺して、おかしくない?あほなん?」と日本の小学生に言われてしまうのに、ソビエト崩壊から、32年くらい経つけれど、いまだロシアはフリーズしていた…と言うことになるのでしょうか。

 こうやって見ると、「32年」って短い。たった、32年かと言う感じ。プーチン氏も、「我々ロシア帝国が、今また、世界を統一するのだ。」的な感覚かも。「何が民主主義だ。何が資本主義だ。」とか。そういうイデオロギーのことは大きいかもしれないです。でも、ロシアの特権階級は、裏で物凄い富を蓄えて贅沢をしているという報道もあります。
 そう見ると、この著書でソビエト連邦が崩壊したけれども、ロシア自体も、分裂の危機にあるのかな。民族は一つかどうか知らないけれど、イデオロギーの分裂は避けがたいという事か。