何年か前に「桐島、部活やめるってよ。」という小説が流行りました。実は、題名だけ読んで「いや…。日本の学校って、部活止めるだけでも一苦労だったよな…。」と思い出して、ちょっと動揺してしまって、中身は読んでません。
今、オリンピックを放映していますが、今日は13歳の女の子が、スケートボードで金メダルを取りました。部活動と関係なく、好きでスケボーをしていて、頑張ったのでしょうね。また、昨日は男子の部で、堀米雄斗さんが、金メダルを取りましたが、アメリカでスケートボードで認められたいと、15歳の時に渡米して技を磨いたそうです。
そんな風に、もう国境を越えて、年代を超えて、言葉を超えて、活躍する人がいる中で、「日本の部活動」は私の経験では、良くも悪くも束縛されていたな…と感じます。ただ、「教育」というのは、怖いもので、小学校・中学校・高校の時期に、伸ばしておきたい体力や、精神性があるのも確かだと思います。
私は中学校に入る時に、「部活動」に憧れて、勉強と部活を両立させるんだ!と燃えていたものです。私の友達は多くが、「吹奏楽部」に入りましたが、運動音痴でも「中学時代は運動をした方がいい」という母の言葉を真に受けて、さほど友達のいない、「卓球部」に入部しました。団体競技では足を引っ張ると思ったんです。
でも、他のメンバーは頑張って卓球をする…という気持ちがあまりなく、「ちょっと、緩い部活に入りたい。」と思っていたよう。先生のいない時に、雑誌を持ち込んで読んだり、試合があっても、適当に流して、負けたら即帰ってしまうような有様。なんだか、孤立してしまって、凄く負担でした。
他の部活でも、同学年の子で、部活で浮いてしまって退部したり、転部する子がいましたが、そういう時は、みんなが大騒ぎしていました。「誰だれが、いじめられていたらしい。」とか、「先生に冷たくされたらしい。」とか。
大体、「帰宅部」の子は、ちょっと敬遠されていたように思います。家の母は良くも悪くも「熱い人」なので、私が部活の事で悩んでいたことに業を煮やして、私に言わないで、どうやら、部活で浮いていてしんどそうにしていることを先生に言ったようです。(お恥ずかしい…。)でも、何気に顧問に言われたのは、「みんなと合わすことも大事だよ。」ということ。一緒にダラダラ雑誌を見たり、怠ける事も大事だと、暗に言っているようでした。今なら、もう即退部して、転部出来る所へ転部したいですが、とにかく、「貞弘、部活変わるってよ。」と言われたくなくて、3年間がダラダラ過ぎて行きました。
大体、部活動の指導者も一般の教師な訳で、そんなにすべてが上手くいきません。中には教師同士で押し付け合う事もあるでしょうし、その顧問も卓球初心者みたいな人で、入門書を見ながらの指導で、今思えばひどいもんでした。
高校に入って、まあ色々あって、「吹奏楽の強豪校」の部活で、青春のひと時を過ごし、その思い出は今も私の自信になっています。だから、部活動がなくなれ!とは言わないまでも、「帰宅部」も別に一つの選択肢だし、途中で変わってもいいし、指導者も地域の指導者を入れてもいいと思います。
今は、リタイアされても、元気な方もい多いし、私の叔父は74歳にしてまだ、現役でサッカーのプレーをしています。
みんなが、やれる範囲で楽しくやらないと、どこかに無理が出て、すごく窮屈な空間を作ると思います。どうだろう。楽しければいいですが。