人類のある限り、人は「争う」「殺し合う」のか?

「戦争と平和」

 「どうして、人は戦争するのか。」「何故、人は争うのか?」そういうことは、もう不変の歴史の「命題」として、太古の昔からの人ととしての「問い」だと思います。
 今から、76年前まで「第二次世界大戦」があって、日本は焼土と化し、戦線から手足を失くして帰還した人も多くいて、次々に「戦死報告」もあったでしょうし、日本は貧しさの中からの出発になりました。
 昔は、高校に行くお金のない家の子どもは中卒で働きに出ましたし、大学に行く機会やお金などが無い人は、普通に高卒で働きました。だから、「大学」に行くことは、学問をして世の為に人の為に…と思ったはどうかは分からないですが、普通に「尊敬」されていて、何の違和感も無かったと思います。
 また、貧しさの中からの日本は、「とにかく、欧米列強のような文明国になり、民主主義を実現しよう。軍を放棄して、国を富まそう。」と本当に「モーレツ社員」になって、頑張ったと思います。
 この間のオリンピックを76年前の人々が想像できたでしょうか?

一応、「貧しさ」の中から脱したかのように見える、日本も、「超高齢化社会」を迎えて、今度は「心の飢餓感。孤独感。」に苦しむ人が、増えていいると思います。また、「高度経済成長・経済の活性化」に世界中で気を取られている間に、「地球温暖化・環境問題」という新たな天災が人類を襲っています。

 「孤独感」とは、誰しもが持っているもの。恋人や伴侶がいてもそういう気持ちを持て余す人がいるかとも思います。わたしも、この感情と折り合いを付けたい一人です。

太古の昔、地球に人間はいなかった。
自分が生きているから、現実がある。
2021/8/19