最近、編み物を好んでいる。なかなか、難しい世界で「編み物道」は奥が深い。父によると、昔のお母さんは、ほとんど皆、裁縫の技術を持っていて、冬に夫や子供に、セーターやマフラー、手袋を編んでいたそうだ。もう、「家事労働」が一つの芸術。
右の画像は、姪っ子にあげようと思う、クマのぬいぐるみ第一号だが、シンプルに飾ってみた。リボンは姪が付けいていたものをそのまま、リボンむずびにして糸で縫い付けた。
ペンダントの部分は、プチプラの¥440位の女の子向けの、プラスチックのイヤリングを改造し、母がいらないと言ったピンクのビーズのネックレスを一部ほどいて使った。
うちの母は、裁縫が好きで、コロナが広がって来た時にもマスクを、沢山作って周辺に配っていた。私達にも洋服やリカちゃん人形の服とかも作ってくれて、一番すごかったのは、リカちゃん人形のスナップで止められるようになっている着物だった。近所の女の子の噂になって、人の子の分も作っていたのを思い出す。
ただ、妹に中学の頃に白いセーターを作っていたのだが、「重い」と感じたのか、人に「手編みです」オーラ満載の作品で、妹が着なくて、母が何度も愚痴を言っていた。私も、小二の時に、何を思ったか、母が、可愛い柄のキルトの連絡帳カバーを作ってくれたのだが、連絡帳にカバーを付けているクラスメイトはいなかったし、なんだか恥ずかしくて付けない事に決めた。
そこまでならいいのだが、母はそのことを、担任の先生に言った。それで、担任の先生まで、「お母さんが作ってくれたんだから、付けなさい。」と言うのだった。
だから、手作り・手編みと言うのは、作るのが大変な事もあって、返って負担になったり、重いこともある。100均でなんでも取り揃えられる時代だ。そのライトさも、また、価値であると思う。