母の日の前に、久々に一家団欒。

「家族」って何?

 親とは、10代のころから折り合いが悪く、東京の祖母の家に厄介になっていたこともあります。

私は高校を2年次で中退しましたし、妹も某劇団の入学が決まり、同じく高校は中退です。
 3人の中で唯一結婚し、子どもを二人設けている弟のことは、上の二人があまりに無茶苦茶だったために、母は中高だった時代の事を覚えていないそうです。
 姉二人が、我欲に苦しんでいるのを見たからか、弟は「頑張ってもいい事はない。」と悟り、大学入学を機に一人暮らしを始めて、そこで眠っていた自我が解放されたようです。

 医師の父と、教師の母に育てられて、自分は「学校中退者の中で、最も元気になれないパターン」を地で行っていました。他の家がどういう家なのか、体験したことが無いので分からないですけれども、まず、「一生懸命、勉強するのは当たり前」ですし、その他の事も、「とにかく頑張りなさい。」と言うスタンス。学校授業をきちんと受けていればいいので、塾に通うなどの事は必要ない。
 話をしていても、言葉の間違いや何かの解釈の間違いなどは、食卓などで正される。また、漢字の間違いなどや言葉の発音の間違いも正されます。今も進行形ですね。

 例えば昨日、「地縁・血縁」と言いたくて、「ちえんとちえん」と言ってしまったこととか。(笑)
 今思えば、両親が無意識に送っていた「頑張って勉強してエリートになりなさい」という考え方と、「社会の中で、人の価値は同じ、人の心を考えなさい。」と言う考え方は、少しずつ分裂していき、私の精神はSTOPしてしまったと思います。
 でも、多分だけれども、両親の時代はそこがあまり分裂していなかったのではないか…とも思います。「学問を身に付けて、立身出世の為ではなく、世の為人の為になる。人の為に貢献できる…という意味のエリート」というシンプルな発想だったのではないでしょうか?
 
 間違ったエリート像を追いかける中で、精神的に不調になる人が出てくるこの世の中に対して、自分に何ができるのか…考えます。
 そういう意味では、人間皆エリートかも知れないです。それぞれの分野に「人の為に何か貢献している」ということが「エリートの定義」ならそう言えます。家事をしてくれるお母さん。育ててくれてありがとう。お母さんが、私の為に兄弟の為にしてくれたことが、私達にとっての「エリート」であったと思います。
 今日は両親と私と妹で、和やかな時間を過ごしました。🙂

一粒の麦もし死なずば。
   By アンドレ・ジット
父も母も一粒の麦だった。
2022/5/8