「友」とは何か?

40代にして、「友」を考える。

 人と自分は違うんだなあ…「袖触れ合うのも多生の縁」一期一会を大事にしよう…そう思う事があります。何かの文章で読んだけれど、ネイティブインディアンに「人生の内で一番大切なものは何か?」と問うた時に、「友人だよ」と答えた…ということでした。

 深いですね。
 若い時に、自分達の信じるものがあり、しかしそれがどこかのタイミングで、自分は信じられなくなってしまい、それを糾弾されたらどう思いますか?「友人だ」と思っていた人が、仲間一同に排斥され、孤立している時、何か言葉をかけられますか?
 人生には、そういう「極限の状況」において、断たれる「友人関係」もあります。

 例えば、10代20代の時に、お互いに「社会を変えるような仕事をしよう」と誓い合っていたのに、40代の今、それなりに仕事をして、家庭を持ってどこかで満足している自分たちがいて、また再会出来ますか?

そんな風に、人生とは残酷なものです。父も20代の頃学生運動で自分の信じる道が分からなくなり、留年を繰り返しました。この間、食事に行っていた時に、父がその頃の事を言っていたのですが、「自分が落ち込んでいた時に、ある、そんなに友達だとも思っていなかった人が、何を思ったか『元気を出しなよ。』と500円をくれたそうです。そのことが、なんだかとても有難かったとか。

 だから、「友情」とはそういう、ちょっとした思いやりに現れるのかもしれません。「友情と言うのは、落ち込んだ時に辛い時に、一緒にご飯を食べてあげられること。」と書かれていた文章もあります。
 
 最近思うのは、人それぞれで、誰一人同じ人はいない。「自分はこう思うけれど、貴方はこう思うんだね。」と理解し合う事ができたら大人なんでしょう。
 私にもこんがらがった人間関係があります。さあ、どうやって、ほどいていきましょう。

「十人十色」色々な人がいる。
2022/5/15